Masuk――マルトニア学園の
「ご注文を復唱させていただきます。ハムエッグサンドがお一つ、ボンゴレビアンコがお一つでお間違いありませんか?」
ウェイトレスがエーリック達の注文を確認する。フリルをあしらった黒を基調としたミニスカートの制服が実に可愛らしい。
「うん、間違いないよ」
「それでは少々お待ちください」
一礼したウェイトレスがくるりと
見えそうで見えない領域に男達の視線が集中した。チラ見であったのだが、近くにいる令嬢達にはバレバレである。
本能に逆らえなかった男達は女性陣の冷たい視線に針のむしろ状態だ。
エーリックだけはウェルシェに
「ウェルシェは良かったのかい?」
「何がでございましょう?」
「いつもは友人とランチしていただろ?」
ウェイトレスが離れたのを確認してからエーリックは話を切り出した。
「ここのところお昼は僕と二人だから大丈夫かなって」
ウェルシェはいつもキャロルと昼食を摂っていた。これはエーリックがウェルシェの交遊関係に遠慮していたからである。
そんな遠慮が弱腰に見られる原因となっているのだが、ウェルシェはエーリックのそんな心遣いを好ましく思っている。
「僕が情けないばっかりに、ウェルシェには迷惑をかけてしまったよね」
「いいえ、私もエーリック様とランチをご一緒できて嬉しいですわ」
この言葉に噓偽りはない。ただ、周囲への婚約者アピールが必要だったとはいえ、キャロルに済まないことをしたとは思っている。
もっとも、事情を察して彼女は笑って許してくれたが……むしろ周りに見せつけてこいと発破をかけられた。
「もしかして、ご迷惑だったでしょうか?」
「そんなわけないさ!」
ウェルシェがしゅんと落ち込んで
「僕らの仲を見せつけるだけなら、何もウェルシェに迎えに来てもらう必要はなかったかなって思ったんだ」
貴族の世界では女性から男性を誘う行為ははしたないとされている。ウェルシェの評判に傷がつくのではないかとエーリックも心配したのだ。
「エーリック様も私をはしたない女と思われますか?」
「ないない! ウェルシェはとっても奥ゆかしいよ。それに一緒にいられてとても嬉しいし」
「それを聞いて安心しましたわ」
ウェルシェにとって、エーリックの心証こそ大事。
エーリックはグロラッハ領に莫大な富をもたらす福の神なのだから、他の有象無象など
それにもともと、他の令息達にウェルシェの方がエーリックにご執心なのだと匂わせるのが狙いなのだ。多少はしたないと思われるくらいがちょうど良い。
「他の殿方にどう思われようと構いませんわ。ですが、エーリック様に嫌われたらと思うと私……」
「僕の為に頑張ってくれているウェルシェを嫌うわけないじゃないか」
エーリックの為と言うよりグロラッハ領の為なのだが、ウェルシェはもちろん真意をきちんと彼にバレないように隠している。
「それで最近はどうだい?」
「エーリック様とお昼をご一緒するようになって格段に声を掛けてこられる殿方が少なくなりましたわ」
確かにウェルシェにちょっかいを出す不心得者はだいぶん減った。
「それは良かった」
「これもエーリック様のお力添えのお陰ですわ」
まあ、完全にゼロにはなっていないが――
「やあウェルシェ、今日も麗しい君の姿を見られて私は幸運だな」
「……ケヴィン様」
こんな風に……
周囲はエーリックに遠慮して声を掛けられない雰囲気であったのに、無粋な人間にはこの防波堤も意味をなさないらしい。
その筆頭ケヴィン・セギュルの登場に珍しくウェルシェは顔を
「敬称などよそよそしい。君と私の仲なのだからケヴィンと呼び捨ててくれ」
「ケヴィン様、何度も申し上げているではありませんか。あなた様とは親しい間柄ではございませんわ。気安く呼び捨てないでくださいまし!」
猫を被っているウェルシェが語気を荒げるのはかなり珍しい。
「ケヴィン先輩、さすがに許可無く婚約者を持つ女性を呼び捨てにするのは感心しませんよ」
自分を無視して頭越しにウェルシェを口説こうとするケヴィンに、温厚なエーリックもむっとしたようだ。
ところが、ケヴィンは悪びれた様子もない。
「何も問題はないだろう?」
それどころか、ウェルシェとエーリックを驚愕させる爆弾発言を投じた。
「私とウェルシェは相思相愛なんだから」
――と。
ケヴィンの件が片付き、晴れ晴れとした気分で学園にウェルシェは登校した。「ご機嫌よう、ウェルシェ・グロラッハ様」そこで彼女を待っていたのは、普段は校内で見かけない美女であった。イーリヤ・ニルゲ公爵令嬢――黒い髪に赤い瞳、精巧な人形のように整った顔、女は嫉視し男は見惚れる起伏のあるプロポーション。一度その姿を目にすれば絶対に忘れられない絶世の美女。オーウェンのテコ入れの為にもウェルシェも近いうちに接触をしようと思っていた相手だ。(これは好都合ね)ウェルシェは内心でにんまり笑った。イーリヤは格上の相手だけに、どう接触しようか思案していたところなので、手間が省けた。「これはイーリヤ・ニルゲ様、ご挨拶痛み入ります」「将来は姉妹になるのだしイーリヤで良いわ」「では、私のこともウェルシェとお呼びくださいませ」しかも、望外にも名前を呼ぶ許可まで貰えた。これで今後は接触がしやすくなる。「本当はもっと早くにあなたと会いたかったのだけど……」「あなた様はとてもお忙しい身。取るに足りぬ私などをお気に留めていただけただけでも光栄でございますわ」イーリヤはふっと笑みを零した。見惚れるほどの妖艶な美しさだ。「ウェルシェが取るに足りなかったら、この学園のほぼ全員がつまらない人間になってしまうわ」「まさか……私のような非才の身など……」「謙遜も過ぎれば嫌味よ」(いやいや、公爵令嬢でありながら文武両道、魔力量甚大、努力の人で商才まである絶世の美女相手に何をど
――ガッシャーーーンッ!!!茶器が床に叩きつけられ、無残に砕けて散った。この部屋の主が大事にしていたオーダーメイドの高級品だったのだが。もっとも、金の模様が過多でなんとも品がない。「キャッ!?」間近に控えていた侍女が短い悲鳴を上げた。これまた高級そうだが派手な色合いでけばけばしい絨毯の上に飛散する茶器を前に彼女は震えた。「ケヴィンがいったい何をしたって言うのよ!」この部屋の主人であるセギュル夫人がまたいつもの癇癪を起こしたのである。「あの子はただ自分の恋人の窮地を救おうとしただけじゃない!」セギュル夫人はケヴィンの言い分を無条件に信じていた。だから、悪いのはエーリックだと疑いもしていないらしい。「それなのに、どうしてケヴィンだけが罰を受けなきゃいけないの!?」実際には継承権剥奪の危機に陥っているオーウェンが一番重い罰を受けている。だが、彼の罰には執行猶予がついており、今回の件でケヴィンだけが理不尽に虐げられているようにセギュル夫人には思えた。「こんなの王妃の横暴じゃない!」我が子だけが不当に罰を受けている――それがセギュル夫人の歪んだ認識なのであった。イライラしてセギュル夫人は親指の爪を噛む。「オーウェン殿下やエーリック殿下には何のお咎めもなく、ケヴィンだけに処分を下したのは王家にセギュル家を貶める目的があるんじゃないの?」もともとエーリックは自分の婚約者を守っただけで何の咎もないし、オーウェンにしても多少横柄ではあったが罪を犯したわけでは
――ドンッ!オーウェンが怒りに任せて拳を激しく机に叩きつけた。「どうして分かってくれないんだ!」今回の裁定に対し、オーウェンは憤りを隠せない。「父上も母上も貴族主義的で人の心を理解していない!」荒れるオーウェンに気づかわしげな視線を向ける男達がいた。「落ち着いてください殿下」眼鏡を掛けた怜悧な印象を受ける青髪の美形――サイモン・ケセミカ。ケセミカ宮中伯の長男であり幼少期は神童とおだてられ育った英才である。だが、イーリヤやレーキに遅れを取り成績不振に陥った。その為、一時は家の期待に応えられないと悩み苦しんだものだ。そんな彼に人の価値は学業だけではなく、能力は学校の成績だけでは測れないと気づかせてくれたのがアイリスである。「そうだぜ、俺達は最後まで殿下の味方だ」赤髪の精悍な美丈夫であるクライン・キーノンは騎士を目指す裏表の無い真っ直ぐな少年だ。しかし、彼の強い正義感が裏目に出て騎士クラス内で孤立していた。そんな愚直な性格も素敵なのだとアイリスに誉められ立ち直れた。「ケヴィン先輩は心配だけど、まだ猶予はあるんじゃないかな」実年齢よりちょっと幼なく見える白銀の髪と赤い瞳のアルビノの少年コニール・ニルゲ。彼はオーウェンの婚約者イーリヤ・ニルゲの義弟である。彼は能力を買われて分家より養子となった。しかし、背も低く実年齢よりも幼く見える童顔のせいで侮られ、自分の容姿に強いコンプレックスを抱いていたショタ系美少年である。アイリスは容姿で差別す
「何よ、ザマァって?」聞き慣れぬ言葉にきょとんとウェルシェは首を傾げた。「近ごろ巷間で流行っている恋愛小説のテンプレでございます」「恋愛小説ぅ?」「まあ、お嬢様には無縁のものでございますね」「失礼ね。私だって年頃の娘よ!」ウェルシェの主張にカミラが疑いの目を向ける。「ですが、お嬢様は恋愛より謀略とか陰謀とかの方が好きですよね?」「大好きよ!」胸を張って答えるウェルシェに忠実な侍女はため息が漏れでた。外見は妖精姫、中身は謀略好きのおっさん。それがウェルシェである。妖精のような美姫でありながら、恋愛には一切興味のない貴族令嬢――それが残念腹黒令嬢ウェルシェ・グロラッハである。「お嬢様にも、もう少し恋愛にも興味を持って欲しいのですが」「貴族令嬢は政略結婚が基本よ。恋愛なんて必要ないじゃない」恋愛なんて飯の種にもならないわ、と真顔で言う残念なお嬢様にカミラのため息が止まらない。「私、本当にエーリック殿下が憐れでなりません」カミラの見立てではエーリックは本気でウェルシェに恋してる。だと言うのにお相手のウェルシェは言動だけの恋愛に残念な見た目詐欺令嬢なのだ。「いいでしょ、エーリック様も幸せそうなんだし」「まあ、知らない方が幸せって事もありますよね」ウェルシェの本性を知ったエーリックの絶望する顔が想像できてしまう。「それでザマァって何よ?」「今回お嬢様がセギュル様やオーウェン殿下になさったようなことです」王子様役の男を巡ってライバルの令嬢
「それでは、学園でまたお会いできるのを楽しみにしておりますわ」「あ……う、うん……また……」ウェルシェからお色気攻撃を不意打ちで食らい、エーリックがフラフラと地に足がつかない状態で帰っていく。「あらあら、エーリック様、大丈夫かしら?」その背中を見送りながらウェルシェはくすくす笑った。「あれはやり過ぎだったのではありませんか?」ウェルシェがチラリと背後を見やれば、カミラが半眼を向けていた。「ん、何の事?」だが、ウェルシェは頬に右手を添えて可愛い仕草ですっとぼける。「そんな可愛い子ぶっても私には無意味ですよ」「むぅ、カミラも可愛いの好きでしょ?」ウェルシェが口を尖らせた。そんな子供っぽい態度も愛らしく、同性であってもくらりときそうだ。「ええ、小さい頃のお嬢様はお可愛らしく、モノホンの妖精でございましたのに……」カミラはハァっとため息を吐き出して、どこで間違ったのかと嘆いた。「何よ、今だって私はカワイイでしょ。学園じゃ『妖精姫』って呼ばれてるんだから!」背中に美しい羽根が見えるって言われてるんだからと、カミラの前でウェルシェはクルリと回って見せた。拍子にふわりとスカートが舞う。その軽やかな姿はとても幻想的で絵本から美しい妖精が出てきたよう。「最近の妖精にはコウモリの羽と悪魔の尻尾が生えているとは存じ上げませんでした」だが、
「――と言うわけで兄上の進言は退けられたんだ」エーリックは裁定の場での仔細をウェルシェに誇らしげに語った。ここは、いつものグロラッハ家の庭園の中にある四阿。ウェルシェが王妃オルメリア主催のお茶会で色々やらかしてから一週間以上が過ぎていた。あの後、非公式ながら国王と王妃の名の元に関係者が集められた審議の場が設けられた。そこで自分の主張が通って無事ウェルシェとの婚約が継続となりエーリックは少し自信をつけたらしい。「しかも、僕らの婚約は父上と王妃殿下の後ろ盾を得られたんだよ」実際はウェルシェの暗躍のお陰なのだが、それを知らないエーリックは胸を張った。男の子は好きな女の子には格好良く見られたいものなのである。「これでセギュル先輩がウェルシェに言い寄ってくる事もなくなるはずさ」「ホントですの!?」報告を聞いたウェルシェは両手を顔の前で合わせて喜んだ。そのあざと可愛いポーズで朗らかに微笑むウェルシェの姿はまさに妖精姫そのもの。エーリックは自分の婚約者は世界一可愛いとだらしなく相好を崩した。「王妃殿下が僕達の婚約への一切の干渉を禁じたから、学園でウェルシェにちょっかいをかける者はいなくなると思うよ」「さすがエーリック様ですわ」男を手の平の上で転がす腹黒令嬢は追い打ちヨイショを忘れない――それがウェルシェ・グロラッハである。「いやぁ、僕は大したことはしてないさ」実際こいつは大したことはしていない。「そんなことありませんわ。私とても恐い思いをしておりましたの」しなを作って
「もちろん、エーリック様をお慕いしておりますわ」ウェルシェは自信満々で(のもたらしてくれる富)と副音声に入れた。嘘は言っていない。「ふふふ、今のは嘘くさぁい」「もう!」「ごめん、ごめん」プイッとウェルシェはむくれてそっぽを向く。キャロルが笑いながら謝罪すると、ウェルシェは横を向いたまま横目で彼女をチラッと見るとため息をついた。「キャロル、私
「ウェルシェは押しに弱そうなだからねぇ」キャロルの指摘にウェルシェはちょっと複雑な気分だった。擬態を解けば男共をあしらうのは訳ない。(だけど、今の私のイメージでは強く出られないしなぁ)エーリックの好みを演出する為のイメージ作りが仇となっている。それはウェルシェ自身も理解はしていた。だが、こればっかりはどうにもならない。「それにウェルシェを強引に口説こうとしている筆頭はオーウェン殿下の側近だし」「ケヴ
「お申し出は嬉しいのですが……」ウェルシェがたおやかに微笑むと目の前の貴族令息は息を飲んだ。あまりに幻想的な妖精の笑貌で、見惚れて言葉を失ったようである。「私には婚約者がおりますの。もう声をかけるのはお止めくださいませ」だが、その愛らしい口から紡がれたのは辛辣な拒絶の言葉。「ま、待ってくれ。あんな婚約者よりも俺の方がよっぽど……」「あんな?」慌てた
「お初にお目もじ仕ります」目の前の少女にエーリックは一瞬で心を奪われた。「グロラッハ侯爵の娘、ウェルシェでございます」それは一分の隙もない立礼を披露する美少女だった。まさに貴族のご令嬢といった見事な所作である。ところが、それでいてニッコリ笑うウェルシェは純真無垢そのもの。自然な笑顔は貴族令嬢とは程遠いもののようにエーリックには感じられた。——







